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「ケ・セラ・セラ(Que Sera,Sera)」がどんな意味を持った言葉なのか?何語なのか?は知らなくても、「ケ・セラ・セラ」という言葉は聞いたことがあるのではないでしょうか?
耳馴染みが良くて、雰囲気も可愛らしくて好きな言葉なのですが、ふと、きちんと本当の意味を調べたことってないな〜と思ったんですよね。
そこで今回は、「ケ・セラ・セラ」の本当の意味や解釈、ニュアンスを深ぼってみたいと思います!
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この記事の内容
「ケ・セラ・セラ」の本当の意味は「明日は明日の風が吹く」ではない?
「ケ・セラ・セラ」は、私の好きな言葉の1つです。
「ケ・セラ・セラ」は「なんとかなるさ」と訳されるので、私は「ケセラセラ」を「明日は明日の風が吹く〜」的な、ノーテンキな意味なのだと思っていました。
でも違う解釈も存在しているそうです。
「ケ・セラ・セラ」の本当の意味として「人生は自分次第でどうにでもしていける」と受け取ることもできるそうです。
自分の人生に対して主体性を持っている感じが好きで、私は「ケ・セラ・セラ」をこの意味で解釈することを採用しています。
「ケ・セラ・セラ」の意味を、どんな状況でも自分の行動や選択次第で切り開いていける姿勢として捉えるようになってから、このフレーズを呟くと、自然と気分が前向きになるんです٩( ‘ω’ )و
単に未来の出来事をそのまま受け入れるだけでなく、自分の努力や決断によって未来を形成していけるという意味を含んでて好きだなーって。やる気が自然と湧いてくるんです。
私が頭中で「ケ・セラ・セラ」と唱えるとき、「人生は自分次第だもの♪どんなふうにでもつくっていけるね♪」というお花畑をスキップしているような軽やかさをイメージしてます。
「人生を自分のチカラでなんとかしてやる!」っていうガツガツしたもの(野心に燃えてる)じゃない方が自分にはしっくりきます。
ケセラセラの意味は受動的なのか?能動的なのか?
一般的には「Que Sera, Sera」は受け身的な意味で使われることの方が多いようです。
「未来は何が起こるかわからないけれど、なるようになる」という意味で用いられて、未来の出来事に対して心配せず、自然の成り行きに任せるニュアンスですね。
(゚Д゚;≡;゚Д゚) どっちが正しいのん!?
受け身的な意味で「ケセラセラ(Que Sera,Sera)」のフレーズが世の中に広まっているのは、映画『知りすぎていた男』の中でクライマックスに歌ったことが由来となっています。
映画の中で主人公の妻(母)が子どもに歌った「ケ・セラ・セラ(Que Sera, Sera)」のフレーズは、未来に対する楽観的な態度を表現するに用いられています。
未来の不確実性に対する不安や心配を和らげるメッセージとして、親が子どもに「ケ・セラ・セラ」=「何が起こるかはわからないけれど、何とかなるわ」と伝えるんです。
映画の場面から「ケ・セラ・セラ」の意味を考えると、未来の出来事に対して心配せず自然の成り行きに任せる、未来に対して受け身の意味として解釈できます。
「ケ・セラ・セラ」と聞いた時に、言葉のニュアンスを
- 「未来は自分次第でどうにでもしていける」と人生を能動的に捉えて解釈するか
- 「未来は何が起こるか分からないけど、なるようになる」と人生を楽観的に捉えて解釈するか
その解釈は選べます。自分次第です。
ケセラセラは何語?英語だとLet it beと同じ意味なのか?
「ケセラセラ」はスペイン語のフレーズ 「Que Sera, Sera」が語源です。
では、英語に訳すと何になるかというと、「Que Sera, Sera」=「Whatever will be, will be」です。(英語が得意な友人に確認しました!)
- スペイン語の「que(ケ)」は英語の「what/Whatever」に相当
- 「sera(セラ)」は動詞「ser(セール)」の未来形で「will be」を意味する
です。
「Whatever will be, will be」と「Let it be」の違いと「Que Sera, Sera」により近い意味を確認していました。
Whatever will be, will beは、
未来の出来事に対して受け入れの姿勢を示す。
未来は予測できないが、心配せずに未来にまかせて受け入れるという意味。
Let it beは、
現在の問題や状況をそのままにしておくことで、自然に任せる意味。
以上より「Que Sera, Sera」と「Whatever will be, will be」がイコールと言っていいのではないでしょうか?
未来に対して意識が向いている点で同じニュアンスですね。
「Whatever 」「What」では、「Que Sera, Sera」により近い意味になるのはどちらなのでしょうか?
Whatever will be, will beの方が、
包括的なので、未来に起こりうるあらゆる出来事を受け入れる姿勢が強調されます。
What will be, will beは、
具体的な状況や事象を指すことが多いです。
そのため、より具体的な状況に対する受け入れの姿勢を示します。
以上を考えると「Que Sera, Sera」は「Whatever will be, will be」がイコールと確定しちゃって良いと考えます!
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「ケセラセラ」と生きるようになった私の恩師との出会い
「ケセラセラ」の本当の意味「人生は自分次第でどうにでもしていける」だと知ったのは、「ケセラセラ」というタイトルのブログを開設しようと思ったことがきっかけでした。
ブログのタイトルにするために、念のために…と改めて意味を調べていたところ、本当の意味と出会いました。
そして、自分の人生に対して「ケセラセラ(人生は自分次第でどうにでもしていける)」と思えるようになったのも、「ケセラセラ」の本当の意味を知ったのと、ちょうど同じ頃でした。
私には、いつも根底に漠然とした不安や恐怖があって、人生を受け身で過ごしていました。
そんな私を「ケセラセラ」と思えるようにして下さったのが、永田武(ながたたけし)さんと渚ひろし(なぎさひろし)さんのおふたりです。
さらにおふたりは、「ケセラセラ」な人生を生きていけるチカラを私に身に付けて下さいました。
私は、友人がしたFacebookのいいね!がきっかけで、永田武さんと渚ひろしさんのことを知りました。
(この頃のFBは、いいね!すると、その人のフィードにも表示されたんですよね。シェアしていなかったのですが、自然と私も目に入れることになりました)
そして説明文もほとんど読まずに直感でおふたりが主催するコミュニティ「Dreamer’s Journey(ドリーマーズジャーニー)」に参加しちゃいました。